天草四郎時貞

 いまなおその存在は多くの謎に包まれたままでありながら、その名を知らぬ人はいないであろうほどに歴史上あまりに有名である天草四郎、本名・益田四郎時貞の作品です。
 出生についても諸説あり定かではありませんが、小西行長の遺臣・益田甚兵衛の子として現在の熊本県上天草市に生まれたとされています。
 時は江戸時代初期、徳川三代将軍・家光が死亡、数年に渡る天候異変による凶作がうち続くも、年貢の取立ては厳しく、領民は苦しみ島原各地で一揆が勃発。飢饉のみならず残酷きわまりないキリシタン弾圧に喘ぐ庶民らより神童として崇拝されていた四郎は、15歳にして一揆軍の総大将として担ぎ出され、原城に立て篭もるも、幕府軍の総攻撃により翌年討死してしまいます。
 その容姿は目を見張るほど美しかったと言われ、またさまざまな奇跡を起こしたとの伝説も残っています。謎多き天草四郎の、そんな神秘的な雰囲気がこの人形より伝わればと思います。(平成16年制作)
*この人形は非売品です *写真をクリックすると、この他の写真をご覧いただけます