じゃがたらお春

 鎖国政策のもと、混血児追放により両親と引き裂かれ、ひとりじゃがたら(ジャガルタ)へと追放された「じゃがらたらお春」の作品です。
 当時、海外に向けて唯一開かれた街であった長崎ではありましたが、外国人と日本人女性との関係を厳しく禁止し、さらには外国人と関係を持った女性、その間に生まれた混血児等は罪を問われ次々に海外へと追放されていきます。イタリア人の父と日本人母とのあいだに生まれたお春は、なんとか役人の目を逃れ静かに暮らしていたものの、ついに15歳のとき混血児であることが知れ、ひとりジャカルタへと追放されます。
 そんな長崎の不遇な時代を味わった人達が、長崎を離れる際に親しい友に残したり、あるいは見知らぬ土地より望郷の思いを綴った「じゃがたら文」と呼ばれる手紙や、袱紗の裏にしたためられた文は、今も文化財として大切に保管されており、中でも「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや」と記されたお春のじゃがたら文は有名です。この作品ではお春がそんな文をしたためているところを表現しています。
 儒学者の家で育ち聡明な女性へと成長したお春は、ジャカルタで後に貿易商として大成する夫と結婚し富をなし、子供や孫にも恵まれ、たくさんの召使に囲まれた裕福で幸せな生活を送ったとの事ですが、再び日本の地を踏む夢は生涯叶わなかったようです。
 「不運でかわいそうな女性」というイメージが一般的なお春ですが、この作品でのお春は決して悲壮感に満ちた表情ではなく、静かな微笑みさえたたえています。苦境を乗り越え、悲しみのうちにもたくましく生きた、そんなお春の美しさと力強さを感じていただければと思います。(平成13年制作)
*この人形は非売品です *写真をクリックすると、この他の写真をご覧いただけます