イネの往診

 「シーボルトの妻タキと娘イネ」の作品でも紹介した、成長したイネの作品です。イネは、日本を追われたシーボルトが「残される妻子のことをくれぐれもよろしく」と願いを託した多くの弟子たちの中でも高弟であった二宮敬作に師事し、明治3年に東京築地で産科医院を開業、明治6年には47歳にして福沢諭吉の推薦により宮内省御用掛を拝命と、日本初の女医としてその名を残しています。この作品はそんなイネが薬箱を持ち往診に向かう様子を描いたものです。
 医師の着衣などを調べると、白衣の登場は明治20年代以降で、イネが活躍していた当時の医師はまだ髪は束髪、着衣は羽織袴、診療などの折にはたすきで袖をはらう姿であったようですが、人形として絵になり、イネの美しさを表現するため、この作品では髪は島田髷、着衣もしとやかな和服姿で制作しています。
 父譲りの赤毛に端正な顔立ちであったと言い伝えられる、不遇ななかでも美しく成長したイネ。医師であった父の面影を追うように「産科医になりたい」と高い理想を抱き、勉学に励み、その夢は叶うのですが、決してその人生は平穏なものではありませんでした。
 女性がそういった職業に就く事や、勉強する事さえ難しい時代。ましてや混血児とあれば偏見に満ちた目で見られ、あらぬ中傷を受けることも日常茶飯事であったでしょうが、77歳で生涯の幕を閉じるまで、終生医師として、幾多の困難に立ち向かった女性であったとのことです。(平成11年制作)
*この人形は非売品です *写真をクリックすると、この他の写真をご覧いただけます